なんで悩むことが出来るのだろう 悩みは観念です [気付き]
悩みは尽きないもので、人それぞれ色々な悩みがありますよね。
実は悩みも観念であって、自分が悩んでいるわけではありません。
観念と一体化すると、あたかも自分が悩んでいるように感じますが、観念だと気付けば「なーんだ」とあっけなく悩みから解放されます。解放されるというより、悩んでいなかったと気付くというか。
そんなこと言ったって、悩んでいるんだからあれこれ解決しないと解放されないじゃない
と言いたいところでしょうが、悩んでいることに気付いてみてください。
気付けましたか?
頑張って気付くのではなく、淡々と「自分悩んでるんだな」程度でOKです。
いかがですか?
それは出来るけど悩みは消えないよ
そうでしょう。
でも、気付けたということは、気付いている何かしらが厳然と存在するということです。
先ほどの
それは出来るけど悩みは消えないよ
これにも気付いてください。
よく言われるのが、悩みは試練であり、乗り越えられる試練しか目の前に現れないと。
確かにその通りです。ですが、これすらも観念です。
悩みは自分で作ったものであり、試練もそうです。ですが、悩みや試練という概念を作ったのは誰なのでしょうか。そう私達人間です。
ここに気付いてみましょう。
概念は概念であって、それを採用するかしないかだけです。
今までは、悩みは解決するものとして位置づけられていましたが、悩みは自分で作ったものでそれを自分で解決するのですから自作自演も良いところです。笑
浅い川に溺れてもがいているようなものです。
気付いてみると、溺れようがありません。
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