不足なんてないんだってばよ [気付き]
▲クリックで大きくなります。写真は京都府京都市伏見区「伏見稲荷大社」
猫ちゃんもいました☆
あれが欲しい、これが欲しい
あんな風になりたい、こんな風になりたい
こんなの嫌だ、もう辛いからたくさんだ
このような不足、生きていれば、あるある、ですね。笑
しかし、このあるある、気付けば幻想なのです。
上に書いてあるように、あれが欲しいだとかこんなの嫌だとかは、その逆があるからそう思えるんですね。
あれが欲しいは、あるから欲しいと思えるのです。
あんな風になりたいは、そうなるから思えるのです。
こんなの嫌だは、この真逆の好きなことがあるからそう思えるのです。
この世は充足が既にある世界にもかかわらず、不足を見てしまうのは観念がそうさせているのです。
観念は思考を使ってこれは自分だと錯覚し、感情を使ってこれは自分だと錯覚し、様々な経験を記憶したものを引っ張り出しこれを自分だと錯覚させます。
観念がなくなれば、自分というものがなくなります。自分であって自分でない。
それは意識であり空間であり生命であり全てであり根源です。
不足は人が作ったシロモノであって、元々存在しえないのです。
不足というルールを作って採用しているだけです。
この不足というルールに気付けば、不足は存在出来ません。
みんな充足に既に包まれていますよ☆
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