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観念による恋愛と愛とは [気付き]

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前回の分と併せてお読みください。

この世に男女がいる限り、恋愛はつきものでしょう。
以前も書いたと思うのですが、恋愛の最初の頃は、とても純粋に相手のことを想いやり、全てを許容しているような状態です。
ところが、好きな相手の不備を見つけて気に入らなくなり、しまいには攻撃的になることさえあります。
こうなると相手の不備が鼻につき、なんでもかんでも言いたくなってしまう。相手は相手で、何か言われまいと頑張ってあなたの意思に沿うように振る舞いますが、実は攻撃されたくないために防衛に入ってしまっているのです。
しかし、あなたが相手を攻撃していると、相手は防衛していてもやむなく反撃してくることもあるでしょう。
ふと、あなたはやり過ぎたかなと反省すると、相手は矛を収めますが、刺激がなくなるとまたあなたは攻撃的になります。
自分の不備を相手のせいにすることだってあるのです。
いつしか恋人があなたにとってストレス解消のターゲット且つストレスを留める置物と化してしまうのです。
恋愛・結婚あるあるではないでしょうか。

意識的に今にいないと、あなたの中にある攻撃性でもって相手に対してしまい、恋愛関係はいつもこのような結末になるのです。
愛とは無償の愛であり、無条件の愛です。
恋人や伴侶が自分を満たすことを条件としているならば、それは愛ではありません。一時的に満たされてもすぐに不足が芽を出し、満たされない自分を作り上げてしまうのです。
お気付きだと思いますが、これは全て*観念です。*観念は「それが恋愛というものだ」とドヤ顔で訴えてくるでしょうが。
このドヤ顔で言った台詞は、自分の*観念を覆い隠したいがための方便なのです。

意識的に今に在ることで、純粋な愛が生まれます。
それは我が子を育てるのに見返りを求めないのと同じです。

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

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タグ:観念 意識
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