砂上の楼閣から離れられない時 [気付き]
前回の分と併せてお読みください。
砂上の楼閣は*観念そのものだと分かっていながら、それと同化し、同化だけにどうかしてしまいそうな方は、
不安や苦しみは「眺める」と良い
強烈な感情が出る場合
をご覧ください。
または、このブログの5月の最初くらいから読み返しても良いかと思います。
ネガティブ性をまともに受けてしまってどうしようもない方は、ネガティブ性を一種のキャラクターと見做してみましょう。
キャラクターですので、それはあなた自身ではありません。
ネガティブキャラは、*観念による無意識の反応によって登場します。思考がぐるぐるしているのも無意識の反応で、ネガティブキャラが「辛いよ、どやっ」と言葉とは裏腹にドヤ顔をしているのです。
子供が、えーん、えーん、と両手で顔を覆い泣きながら、手の隙間からあなたをチラっと見て反応を伺っているようなものです。
*観念と同化しそうになるたびに、ネガティブ性をネガティブキャラとして見てあげてください。
そこにはただのキャラクターしかいませんし、あなたの元に向こうから走ってきては「どやっ」と言って、通り過ぎていなくなる存在です。そんな存在は車が通り過ぎるように、F1がビューン!って通り過ぎるように、ただそれを眺めてやれば良いのです。
その通り過ぎる存在を捕まえない、追いかけなければ良いだけだったんですね。
全てのネガティブ性はこんな感じなのです。
この状況だけはネガティブになっても誰も文句は言えまい!と思うのも*観念である自分のモノサシからのジャッジです。
*気付き、気付いている状態である*本質は全て眺めて知っており、あなたはその*本質そのものです。
安心してネガティブキャラを眺めて素通りさせてあげてください。
※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。
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