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抵抗しないこと、手放すことの意味2 [気付き]

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前回の分と併せてお読みください。

手放すことは状況に対してその状況をあきらめて放棄することではありません。
状況に対して自分のモノサシである*観念を手放すのです。

仕事や生活で大変な状況で、その状況を放棄することが手離しや抵抗をしないということではありません。
今までは「うわ~」とか「またか…」等のように、いつもの自分が状況に反応してしまっていましたが、それら状況を今まで通りの*観念でジャッジせず、今に在りながらそれら状況に対すれば良いのです。
今までの無意識による反応から状況に対するのと、今に在りながら状況に対するのとでは全く異なることです。

自分のモノサシ(*観念)で状況を一切のジャッジしないことが手放すことであり、状況を在りのまま受け容れることが抵抗しないことです。
普段から息をしていることに誰もジャッジも抵抗もしていないように、誰でもそれは出来るのです。

在りのままに見ないということは、自分のモノサシ(*観念)で無意識にジャッジをしているということです。
そうすることで気に染まないことは抵抗として目の前に表れてきます。
*観念という鎧を強化し、正論という諸刃の剣を強化し、無意識の内に重い鎧に苦しみ、諸刃の剣で自分を痛めつけます。
不安や恐れがそうさせてしまい、気付けば悲劇のヒロインになってしまうのです。被害者意識が強くなり、身体も緊張を強いられ、精神と身体に支障をきたします。
お分かりと思いますが、このように自分のモノサシ(*観念)を手放さない限り、同じ状況を延々と繰り返してしまうのです。
疲弊するのは*観念にどっぷり浸かってしまっており、この*観念を手放せない方便として正論を展開するからであり、延々と同じ状況が繰り返されるからです。

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

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