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精神と現実の境目 [気付き]

また随分と空いてしまいました。

前回は現実的なアプローチから要を書きました。

私達は紛れもなく現実に存在しており、衣食住をしていますよね。精神論は時に人を豊かにしてくれたり、ポジティブにさせてくれますが長く続かないのは地に足を付けていないからです。

精神的な安定があり、現実に対応する。

念仏さえ唱えていれば現実が良くなるだろうと思いメソッドなんかをするのでしょうけれど(身に覚えありで恐縮至極)、現実は味わうもののためにあって、精神はこの味わいのエンジンのようなものです。
ですから、メソッドをせずとも自ら精神状態を観察していれば、現実においてどのような態度になっているかが分かるようになり、今までのパターン化された反応を超えて行動出来るようになるのです。

分かるけど、これが出来ないからジプシーになってるんだって!

このような方は現実に期待し過ぎるあまり、観察しているつもりになっている状態です。
もう釈迦に説法の方もいらっしゃると思いますけど、現実と精神は表裏一体です。現実に期待すると、精神はどのようになっているでしょうか?
そうです。焦りです。
現実に焦っている自身がそこにいるのですね。

これも釈迦に説法で恐縮ですが、であるならば、現実を丸っと受け容れてしまうとどうなるでしょうか。受け容れることは恐怖に感じる方もいらっしゃいますが、意識は左右されせん。意識ですので。
意識は何者からも害を受けない唯一無二の場所です。
現実がコロナウイルスで大変なことになっていても、無害な人も大勢いるわけです。無事なのに精神が不安や恐怖から病む人もいらっしゃいますけれど、それは*観念だということはみなさんご存知の通りです。
*観念は刺激を受けて活動を活発にしますので、それを観察する。受け容れる。気にならなくなる。
シンプルなプロセスですけど、シンプル過ぎて受け容れられない*観念が存在することもまた事実です。ですので、観察(気付いている視点)している主体(意識)を想い出し、*観念だと気付くことで現実の自分は楽でシンプルになります。

精神と現実は表裏一体。

ですから、精神だとか現実だとかいちいち考えなくても良いのです。
観察して気付いているだけで良いのです。
最初から分離していなかったのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。


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