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年末のご挨拶 [雑談]

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今ここに在り。

感謝申し上げます。

また来年もよろしくお願いいたします。


チョココア

芝桜 [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県砺波市新屋敷地区「芝桜の郷 新屋敷」

先月に行ってきた富山県砺波市にある「芝桜の郷 新屋敷」です。
川の両岸に芝桜が一面に咲いていてとても綺麗でした。
ボランティアの方に非常に親切にしていただいて、この芝桜に対する思い入れもひとしおという思いです。

自然に触れていると自然に?溶け込み易くなるように思いますが、みなさまはいかがでしょうか。
私はあまり人のたくさんいるところへは行きませんが、気付いたらそうなっていました。
学生の頃は人混みの中にいるのが好きで、学校帰りには友達とショッピングモールに何を買うわけでもなく行って人間観察をしていました。笑

気付いたらテレビも見なくなり、以前は勉強するにも音楽を流しながらでないと落ち着かなかったのですが、気付いたら全く音楽を聴くこともあまりしなくなりました。

気付いたらこうなっていた。ということはみなさまにもあると思います。
自然にというのも身を任せている状態で、偏ることのない状態で「在る」です。

誰しも観念がある以上は、「不必要に」想ったり思いつめたりするものですが、気付いたら何てことはなかったと気付く日が必ず来ます。そう、既にそうなのですから、肩の力を抜いて楽しんでくださいね。







花見に行ってきました [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県氷見市鞍川1060番地 「朝日山公園」

去年も朝日山公園の桜は掲載していまして、写真は今日撮ったものです。
八分咲きほどでしたがなかなか綺麗でした。

お弁当を食べているとトンビが上空を旋回しており、「こっちに来てつまみ食いしに来な」と思っていると、他方から「うわー!」という悲鳴が聞こえてきました。お察しの通り、トンビに食べ物をかっさわられたのですが、私のところには結局来ずじまいでした。
お弁当を食べて桜を撮ることに専念していると、目の前で弁当を広げて食事しているご夫婦にトンビが食べ物をかっさらっていき、旦那様が恐れて立って逃げようとしているのですが、奥様の方は座って上を見上げながら弁当を食べていて、ご夫婦の差が歴然とした様がおかしくて笑ってしまいました。ええ、こらえ笑いです。

これは*観念の差?も出ているとも言え、大迷惑を蒙った旦那様には申し訳ありませんが、思い出し笑いをするのでした。






チョココアの雑感 [雑談]

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昨日みたいに書いていきます。

「この世に様々な法則や法則性があるからには、地球規模、宇宙規模にさえ何らかの法則性があるに違いない」
と確信めいたものがありました。何かは知らないがピンと来るというのでしょうか、論理の飛躍のようにも思えたのですが、不思議なほど確信に近いようなものがあり揺らぐことはありませんでした。

ある時、みんな一緒にとても楽しく過ごしている最中、瞬間湯沸かし器のように大激怒する人がいて、この大激怒した人は楽しく笑顔でもいたのに急変したのです。
激怒した内容は置いておいて、この楽しい最中に真逆のことをやってのけられることに驚きと感動と知的好奇心を揺さぶられたことがあります。
この経験から、辛い最中でも楽しくなっても良いはずだ、と思えたのです。激怒した人は楽しい最中でしたが、逆も有り得るなと理屈ではなくインスピレーションのように浮上してきました。
人生は全て選択の連続ではないのか。全て必然的に起こり、自らが選択しているのであり偶然というものは一切ない。と知ったのです。

勘違いかどうなのかは定かではないが、欲しいと思ったものが家にあったり、なくなったものが忽然と現れたりすることもあった。これは偶然だと思えることですが、偶然という選択をしているとも言え、まさに詭弁のようなことがこの世には「起こっているように見える」のです。
ただ在る視点(気付いている状態)だと、レッテルも貼らずに眺めているので、必然や偶然かも認識していません。
とてもシンプルだと言うのはここにあるのですね。


さて、私のことと言えば、意識を向けるとそこにエネルギーが見えるような感覚だったり、例えば手に意識を向けると手がピリピリしてきたり、空間に微粒子のようなものが見えたりします(見えなくても良いのです)。
このようなことは求めたものではなく、元々あるものですから、*観念の外に出れば自然と得られる(思い出す)シロモノです。笑
シロモノというとレベルが落ちる感じですが、そうではなく、これらは特別というほどのことではないという意味でのシロモノです。
人間国宝が自分で人間国宝だと思わないし、自分が特別な存在でないと思っているのと同じようなことです。本人はいたって普通だと思っているのです。
みなさんがあなたは今日から人間国宝ですよと言われても、違和感しかないでしょう。それと同じです。
このような意味では、「雲の上の存在」というレッテル貼りがいかに無意味なことかがお分かりいただけるのではないでしょうか。
悟りや*本質も特別のものではないのです。


※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。



古代文明を見て来ました [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県富山市新総曲輪4-18 富山県民会館美術館「黄金のファラオと大ピラミッド展」

言葉くらいは聞いたことのあった「ファラオ」ですが、エジプト王のことをファラオと呼んだそうです。
スフィンクスやピラミッドはお馴染みですね。
ピラミッドを建造するにあたり、奴隷がピラミッド建造に従事させられたわけではなく、生活の糧を得るために人々が率先して集まって来た。ということのようです。
それにしてもどうやって作ったのか謎めいています。UFOでもやって来て、たちどころの内に作ってしまったとする方が、まだ人海戦術で作ったとするよりよっぽど真実味があるような気がするのですが。笑
(私の観念は子供の域を出ないのでしょう。)
展示物の撮影は禁止ですが、上の写真は入口(出口)に飾られてあったもので自由に撮ることが出来ます。


そう言えば私が小さい頃、「ピラミッドパワー」なるものがあったと記憶しているのですが、人は本当に色々なものを概念化して力を与えるものですね。これらを眺めてみると「楽しい」となるのですが、みなさんはいかがでしょうか。
答えは一つではありませんので、本質から眺めてみてください。
気付いている状態で、です。


明日から数日不在です [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県氷見市稲積字大谷内112番1「氷見あいやまガーデン」
以前も紹介しております。


知識が積み重ねられ、やがて知識が観念として取り入れられる。
知識は使うものであって使われるものではないと、先達が言ったものですが本当にそうですね。
知識はあっても良い、しかし、知識に使われないことが大前提だということですね。
知識があっても観念として使わない、ということです。


スピ系あるある [雑談]

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あるあるじゃないものもあるかもしれませんが、ネタとしてお納めください。笑






・最初は好奇心からいつでも離脱出来るように身構えるも、気付いたらハマっている。

・知識のお裾分けを誰かにしようとする。

・自分にオーラがあるか確認。

・念力のようなものでお金やモノを空間から出そうとしてみる。

・読み応えのあるブログを発見するも、たまに短文でがっかりする。こっちはお菓子準備してガッツリ見ながら食べようとしてたのに。

・やたら知識が増え、そのおかげか宗教の勧誘者を完膚なきまで叩きのめす。

・ヒーラーの存在を知り、身内やペットに試してみる。いずれも何の反応もない。

・我こそはヒーラーだ!と不思議と思えてきてマジでヒーラーになるも、病気になる人達を治してもまた病気になりまた治すを繰り返し、キリがないことを悟りやめてしまう。そこで病気は内面から来るものだと教えることにより病気をする人達を根底から病気をなくすことにシフトする。

・シンクロが気にかかり、ことあるごとに数字のゾロ目を見ては喜ぶ。ゾロ目じゃなかった時は多少は残念に思うが次第にスルーするようになる。

・愛を送れば霊も浮かばれるよ!と、すごく怪しげな雰囲気のところに「愛しています」と愛を送っていると、本当に雰囲気が一変してしまう。

・メソッドジプシーに陥る。

・それメソッドジプシーだよと誰かに教えてあげられる余裕が生まれる。

・願望実現から悟り系にシフト。

・他人がいると途端に気付きが出来なくなる。

・悟ったと思われる人を参考に自分もそうなるぞと決意するも、朝起きたら憂鬱さが先だってまたいつもの自分。

・本屋に行くとスピ系コーナーに直行する。

・本屋でスピ系コーナーに誰かいると尻込みしてしまう。

・「ま、いっか」から先に進まない。

・スピ系の話をしていて、Aさん「~だから~なんですよねー」と聞いて、「(ふっ、まだまだ分かってないね)」とプチ優越感に浸る。

・気付いたらやたら世間に対して視野が広くなっていたが、ことスピ系に関しては視野狭いことに気付かない(盲目的な部分がある)。


以上です。
他にもたくさんありそうですが、観念の中にいると本当にコントのようなことをしているのですね。笑





情緒を誘う何か [雑談]

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いつか撮った雲の写真です。
何の変哲もない右下のポールが情緒を誘う感じがして、何かしら良いな~と思わせます。私だけ?笑

このような何の変哲もないようなものでも、何かを感じることはあると思います。やけに旅情を誘ったり、久々に友達の声を聞いてやけに感動したりといった具合に。

実はまっさらになった際にも「何か」を感じるのですが、それは*本質です。
「何か」を何かに関連付けしなくても良いのですね。

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。
まっさらはブログ内検索でいくつか記事が出てきますのでご参考くださいませ。

クジャク [雑談]

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▲クリックで大きくなります。写真は富山県高岡市古城1-6 (高岡古城公園内)「高岡古城公園動物園」

以前撮ったクジャクです。携帯電話のカメラで撮ったものです。
この公園は何度か当ブログでも出てきて、桜や紅葉を撮った写真を掲載しています。

動物は大好きで動物園やホームセンターのペットショップコーナーに行ったりして、都度、飼いたい欲求にかられるものです。
今までに我が家にはたくさんの動物がやって来ては天に返り、その度に、もう飼うまいと決めるも、困っていそうな猫やこっちを見つめる小動物を見ると決意が鈍るので困ります。

小さい頃に友達の家に行く道中で拾ったスズメを服の中に入れて持ち帰り、親には内緒でトイレに隠れて逡巡したものです。結局は思いきって飼いたいことを告げ飼うことになったのですが、本来スズメは飼ってはいけない動物に指定されているので、保護目的でお世話をするならばと飼い始めました。
数か月で経ってから放したのですが、亡くなったわけではないけれど、離れる寂しさと別れる辛さに大号泣したものです。毎日スズメのことを想い、大丈夫か等と心配したり夜も寝るまで思い出しては泣いていました。
先日はうさぎが13年弱生き、天に返っていきました。悲しいけれど悲嘆に暮れることはなく、割とスッキリとした感じで、意識として在ることを体感しているため「死」を感じていないのですね。

大人になったから鈍感になったのかな、と観念は詮索を始めますが(笑)、そのような性質のものではないのです。
「何故か知らないけど分かる」のです。それは知識では知り得ることのないもので、「分かる」そのものなのでそれ以上のことはないのですね。

笑いのツボ [雑談]

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人によって様々な笑いのツボというものがありますよね。
私の場合は大勢がいてシンと静まり返ったところにいると、スイッチが入ったように笑えてしまうのです。ちょっとしたことでもツボに入ってしまうことで、他人に悲劇を与えてしまうということがありました。

中学生の頃、全校生徒が集まる卒業式の練習の中、ある先生が2回連続でくしゃみをしたことがきっかけに、私にスイッチが入り、笑うことを我慢しつつ、どうしても息が漏れてしまい肩を少し揺すってしまっている私を見ていた後ろの生徒達から周囲に広まり、誰かが吹き出してしまい、その誰かが叱られるという悲劇を起こすといったものです。
このような悲劇は何度かあり、みんなからは顰蹙をかうものの、先生にはバレていないところが生徒達からすると厄介です。

運動会の前日、先生の説教で先生が噛んだ時にもスイッチが入り、これは申し開き出来ない状況になったはずが、ほとんどの生徒も他の先生方も笑っていて救われたことがあります。この時は妙に冷静になった自分がいて、急に笑いが冷めたこともあって、現金な自分に苦笑するしかありませんね。笑
いつしか「爆弾」扱いされるようになり、必死に笑いをこらえようとしたり、笑わないように振る舞いますが、何をしても止められませんでした。
堪えようとすればするほど余計にフタをしてしまい爆発するのですね。

今でもそれは健在でとっくにあきらめています。改善しようという気もなく、笑った後の後ろめたさややってしまった感よりも、笑いの方がそれを超えてスッと気が軽いのです。*観念と言う*観念が雲散霧消するかのようです。

みなさんも笑いのツボがあると思いますが、抑圧せずに笑ってください。抑圧しているものの正体は*観念ですから、大いに笑っても良いのです。
あ、場所は選んだ方が良いかもしれませんけどね。笑

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

タグ:観念

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