好きな食べ物は [雑談]
パスタが大好きで以前は週に一度はパスタを食べる日を決め、少なくとも200グラムは食べていました。
パスタ屋さんで食べるパスタも美味しいですが、スーパーに売っている市販の「温めてかけるだけ」や瓶に入っているパスタソース等、一通り食べました。
中でも好きなのはトマトベースで、ピザもトマトベースだと食がかなり進みます。
なんだかんだでトマトベース派に落ち着き、たまにホワイトソース系やスープ系を食べるといった具合です。
私の場合は酸味があると食が進むようで、一時期、穀物酢をラーメンやうどん、その他にかけて食べないと気が済みませんでした。今ではそれほどではありませんが、油っこいものには酢をかけてたがるようです。笑
ちなみに今はパスタの量は以前より150グラム増しの350グラムを平らげています。痩せの大食いとはいかないまでも、パスタの時だけ痩せの大食い状態になっています。
以前はカリカリ梅も大好きで、1キログラムのカリカリ梅を1時間以内で半分食べ、次の日に体調がおかしくなったこともあります。また、調理に使うレモン汁もそのままチューチュー吸って飲んで、やはり次の日には体調がおかしくなったりしました。
ほどほどが良いということをこの時に学びましたが、パスタはなかなかやめられません。かといって体調を崩すこともないので相性が良いのでしょうか。笑
たまごかけご飯は大好きですが、茶碗一杯まででおさまっています。
たまごかけご飯をいただいている時の一体感は何なのだと観念が不思議がりますが、そうなのだから仕方ないですね。たまごかけご飯即我です。
目の前に現れている全てのことは、意識としての現れですから感謝するしかないですね。無性に嬉しくなるのです。
雨晴海岸 [雑談]
先月の中旬に雨晴海岸に行った時に撮りました。
・雨晴観光協会
・雨晴海岸(Google map)
▲クリックで大きくなります。
3枚目の写真は奥に立山連峰が見えるはずでしたが(笑)、霞みがかっていてほとんど見えませんでした。
すぐそこが海なので、小さな貝がいる浅瀬を見ていると、想像以上に早いスピードで小さな貝が移動していました。観光に来ていた方々が口々に「早い」「すごい(すげぇ)」等と感動の言葉を発していました。
撮影した場所が雨晴駅のすぐそばで、電車の往来が時々あるため、電車を撮る方々もいらっしゃり、撮る対象にはことかかないところではあります。
駐車場から撮影ポイントまで行く道中、カラスに餌をあげているオジサン(おじいさん)がいて、「このカラスが慣れてくれるまで3年はかかった」と仰っていました。カラスが近付いて来て、餌をポっと投げると餌が地面に落ちる前にクチバシで器用にくわえて食べていました。まるで水族館でしこまれたアザラシの輪投げを彷彿とさせる絵面でした。
思い思いに写真を撮ったり眺めたり、言葉を発したりして、「今」を味わっているのですね。
生き生きとしているこの様が、何よりもの味わい深いこの世の楽しみ方ではないでしょうか。
・雨晴観光協会
・雨晴海岸(Google map)
▲クリックで大きくなります。
3枚目の写真は奥に立山連峰が見えるはずでしたが(笑)、霞みがかっていてほとんど見えませんでした。
すぐそこが海なので、小さな貝がいる浅瀬を見ていると、想像以上に早いスピードで小さな貝が移動していました。観光に来ていた方々が口々に「早い」「すごい(すげぇ)」等と感動の言葉を発していました。
撮影した場所が雨晴駅のすぐそばで、電車の往来が時々あるため、電車を撮る方々もいらっしゃり、撮る対象にはことかかないところではあります。
駐車場から撮影ポイントまで行く道中、カラスに餌をあげているオジサン(おじいさん)がいて、「このカラスが慣れてくれるまで3年はかかった」と仰っていました。カラスが近付いて来て、餌をポっと投げると餌が地面に落ちる前にクチバシで器用にくわえて食べていました。まるで水族館でしこまれたアザラシの輪投げを彷彿とさせる絵面でした。
思い思いに写真を撮ったり眺めたり、言葉を発したりして、「今」を味わっているのですね。
生き生きとしているこの様が、何よりもの味わい深いこの世の楽しみ方ではないでしょうか。
新年のご挨拶 [雑談]
年末のご挨拶 [雑談]
当ブログに関わりくださった方々、そして意識として存在してくださる全てに対して感謝感謝です。
良いお正月をお迎えください。
お元気で。
元気な意識として在る、チョココア
※チョコとココアという猫を飼っています。合わせてチョココア。笑
また来年という今にお会いしましょう☆
天から降った石 [雑談]
▲クリックで大きくなります。写真は富山県高岡市伏木古国府17番1号「雲龍山 勝興寺」
写真は勝興寺敷地内にある「天から降った石」で、隕石です。見た目は普通の大きな石ですが、写真の上に乗っている石で叩いてみると、金属音のような音が出ます。
この石は「安山岩」という説もあるのですが、いずれにしても叩いてみると普通の石とは違う音がして珍しい石には変わりありません。
私が小学一年生の頃、集団下校の最中に、「キューーーーーン」という音と共に北の空に火の玉が彗星のように飛んだいるのを見たことがあります。
天気は雷雨だったので、雷も鳴ったり稲妻も見えたりしていたので、それとは違う彗星のような火の玉には驚きました。
見た目にはいつも見る月より少し小さいくらいだったので、実際はとても大きい隕石だったと思われます。後日談がないことから、海にでも落ちたのでしょうか、そのまま摩擦で消滅してしまったのかは定かではありません。
あの頃も「今」にいて彗星のような隕石を眺めていたのですね。不思議と恐怖もなく、なんとなく「見たことがある」ような気がして眺めていたのを思い出します。
チューリップ公園 [雑談]
▲クリックで大きくなります。写真は富山県砺波市中村100番地1「チューリップ公園」
チューリップ公園のイルミネーションです。この時期になるとすぐに暗くなり、撮った頃も夕方の5時30分過ぎくらいでまるで夜のようです。
昨日の「空」は何も書いていませんが、*観念からしてみると反応に困ることでしょう。笑
今日のイルミネーションは写真もあり言葉もあり、*観念からしてみると「理解できる対象」があってひとまず安心といったところでしょうか。
昨日の「空」と今日のイルミネーションとは対照的で、「空←→色」です。どちらも「在る」であり、比較するものでもないのです。どちらもレッテルを外してまっさらになれば、味わい深いのです。
※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。
明日から数日不在です [雑談]
思考が感情を呼び、感情が思考を景気づける。
不安や恐怖は外部からもたらされているのではなく、思考と感情の賜物。
よもやそれが自分(観念)と思うまい。
と、このように文にしてみると客観的になっており、自分(観念)の外から出て眺めている状態になります。
ストーリーの主役ではなく、まるでストーリーを眺めているような感じです。
寒い季節になった、寒すぎ!
と眺めてみると、寒いけれど思っているほど寒くないかも。となることもあります。
観念は偏見と固定観念がない交ぜになり、レッテルを貼るものですから、不必要に寒くなったりします。
何も寒さだけではなく、「不必要に何々だ」と思い込んでいることはありがちですね。
観念の外に出て眺めるということは、在りのままを受け容れているということです。
抵抗感はなく物事がシンプルで楽ですよ☆
改めてこの写真はどこの? [雑談]
以前もこの写真はどこの?で書いたのですが、以前書いたことと多少変わったところが出てきたのでお知らせします。
以前は、
使わせていただいている写真は、その内容に沿った(沿っているかどうかは別として、雰囲気とか)ものを選んで使わせていただいています。
と書きましたが、写真と内容が合っていなくても掲載しております。笑
どちらかと言うと、その季節に合った写真を掲載するようになりました。
いつもPAKUTASO/ぱくたそ フリー写真素材さんの写真を使わせていただいております。ありがとうございます。
私が撮った写真は、住所と目的地を添えて「▲クリックで大きくなります。」等と書いてあります。また、目的地と被写体が合っておらず「何を撮っているんだ?」というものも少なくありません。笑
例えば、りんご狩りに行ったとして被写体はりんごだったり、りんごの木々だったりするでしょうが、私のはりんごの木の根元に小さく咲いていた草花を撮っていたりして、それをそのまま掲載するのですから自分でもおかしくなります。主役のりんごどこ?という感じでしょう。
写真を撮っていて楽しいのは、主役以外の発見がたくさんあるということも理由の一つです。そうしていると全てが主役足り得るのだと思えてくるのです。また、視点が意図せず増えていったことも事実です。そこはかとなく、ファインダーを通して感じるモノがあるのです(今ではファインダータイプではないものが多いですが)。
実は、ファインダーを通して本質視点になっていることが多々あるといったところではないでしょうか。在りのままそれを捉えて納めているように思います。
福島県の鬼子母神 [雑談]
▲クリックで大きくなります。写真は高速道路で車中から撮った福島県にある鬼子母神です。助手席から撮りました。
写真では見辛いかもしれませんが、写真に中心線があるとすると、中心から右下くらいに鬼子母神が見えると思います。色は白です。
時間帯はまだ朝より早朝という感じで薄暗いです。
早朝の何とも言えない静けさが好きで、小さい頃に秋になるとリンゴ狩りに朝の4時くらいに起きて長野に向かった道中、どんどん夜が明けて来る空の色合いや雰囲気がとても印象的で、未だに大好きで見ているだけでも神秘に包まれた気分に浸れます。静謐さを体感していたのですね。
そのような意味では写真は明るい方ですが、静けさを感られます。
みなさんも小さい頃から今に至るまで、様々な体感を経験なさって来られたと思います。
もちろん、本質を経験されてもいると思います。小さい頃に体感したことの方が本質を思い出しやすい場合もあるように思います。
小さい頃は大人として自覚する前、何か自分とは違う違和感のようなものが親や世間から感じていたことはあるのではないでしょうか。分離をあまりしていない小さい頃は何かと「空」だったでしょう。
思い当たることがない方はそれでOKです。
本質は常に在るのですから、本質即我と意識しているだけでもOKでしょう。