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男性と女性に見る完全性と不完全性 [気付き]

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前回の分と併せてお読みください。

あっちに偏り過ぎてもいけない、こっちに偏り過ぎてもいけない。ちょうど良い中間でOK。
人間に男女が存在しますが、種の保存という本能的なこと以外に、男女が相互に自分にないものに惹かれ合います。
恋愛を通して、または結婚生活を通して男女という隔たりがなくなる人も稀にいます。
男性、女性という不完全性、男性女性という隔たりがなくなる完全性、私達はまだまだ不完全性を経験しています。
それは、男性と女性は全く別物だという*観念があり、分離に基づく見方がそうさせています。

「自分」も分離に基づく見方です。よく自我と呼ばれていますが、私はこれらを*観念と呼んでいます。
余談ですが、外国では仏教に触れた人は自我について知っていますが、一般の外国人が自我という仏教用語を知らないため、指導者は自我のことを「エゴ」という言い方をしています。
エゴという言葉に慣れている方は、*観念をエゴに置き換えていただいて結構です。

「自分」は分離状態であり、本来は分離していない全体そのもの「*本質」が私達の真の姿です。意識であり*本質です。
意識は全てに存在します。つまり、全てが自分であり意識、認識したものは即我ということなのです。
私が「卵かけご飯即我」とか「ケーキ即我」と言っているのは冗談でも何でもありません。

科学的なことで言えば、この地球が誕生する前は人間は存在していません。概念もルールも常識というものも存在していません。地球という名前も当然ありません。「そうであるもの」が誕生し、「そうであるもの」の中に私達(そうであるもの)生命が営んでいるのです。地球即我です。
地球は宇宙の中にいますが、宇宙自体もまた誕生しているのです。宇宙即我です。
誕生している根源、つまり全てが即我なのです。

男性、女性という不完全性を経験し、相互に*本質を見ることで完全性になります。お互いに在りのままで歩んで行くのです。
*本質は男性も女性も一つなのです。結婚していようと独身であろうと、「今この瞬間」を味わうことで全体性を経験します。
男性、女性は形あるものですが、*本質は姿や形を必要としません。
*本質は既に完全なのです。

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

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