流されても流れている背景に気付く [気付き]
微妙なうつろい。や微妙なうつろい。(別角度から)で書きましたが、人は流されやすい生き物という言葉がある通り、大地に根を下ろしていないとあちこちと流されやすいものです。
流されても川に葉っぱが流れているように、障害物があってもサラっと抵抗なく流れていくようで在りたいですね。
流されている最中でも、葉っぱであっても、その背景の*本質に気付いている、気付いている状態で在ることです。
*観念は流されやすく、自己主張をするためには何らかの価値を外に見出してそれに依存することで安心しようとします。
依存している対象の価値か崩れた時は、次なる依存先を求める。といったことを繰り返すのですね。
当ブログが特定の宗教やスピ系の書物等を引き合いに出さないのは、*観念の流されやすさを経験してきたからです。
当ブログの投稿した内容も流されやすいものの一つではあります。盲信して*観念を作りそれを自己価値観にするのではなく、気付いている状態、即ち*本質で在ることを知っていただければと思い書いています。
流されても流れていることに気付いている。
飲んでも飲まれるな、です。笑
※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。
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