不幸とは観念が作った幻 [気付き]
前回の分と併せてお読みください。
今に在ると不幸は存在しません。
ということは、今以外にいる時に不幸という自分を作ってしまうことになるのです。つまり、時間を採用しているからこそ不幸になれるのです。
*観念による無意識は不幸な自分を作りますが、それは無意識に無防備に時間を採用している証でもあります。気付かない*観念ですから盲点のようになっています。
はたと、「あ、また時間を採用してたな」と気付くことが出来たなら、既に気付きは始まっていますので盲点であろうが何であろうが気付けますので安心してください。
*観念はとにかく思考でもってあれこれ考えるように仕向けます。しかも無意識に自分を悲劇のヒロインに仕立て上げたり、不幸な私を演じようとしたり、病気自慢や貧乏自慢、はたまた恋人いない自慢に容姿が悪いだのとお笑いの自虐ネタのように振る舞って果てしないのです。それは時間を採用しているからなのです。*観念は時間という概念がないと存在出来ないことを知っているため、「今に在る」ことを超絶難しいモノとして気付かせないように仕向けてもいるのです。
「在る」とは「する」のではなく、「する」の先にある「そのもの」なのです。
過去にも未来にも行けないと分かっていながら、「今」にいられない自分に気付いた時、「あぁ、そっか」と。自分で自分をそのように作り上げていたんだなと腑に落ちるのです。*観念がそうさせていたということにも気が付くでしょう。
※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。
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