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自分という価値観を超える [気付き]

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誰かに対して言わずにいられない時があると思います。普段なら言わないことでも言わないと気が済まないくらい、理性があまり働いていない時があります。分かってはいるが止まらないといったように。
「分かってはいるが」の時は*本質から気付いてるですが、その気付きを即座に却下していつもの自分(*観念としての自分)になってしまっているのです。
それは他者との比較がそうさせているのであり、パターン化したものです。
「自分」がいて「他者」がいるという認識である以上、比較することは当然のように思われますが、比較自体が人が作った*観念ですので比較するという概念自体が存在しません。
*本質は全体性であり、自分と他者という切りは離された存在ではありません。

「分かってはいるが」の時にじっくり内を観てみてください。今まで無意識にそうさせてきたことに気付くでしょう。
あるいは、じっくり内を観ることをを許さない*観念に気付くかもしれません。

正論という諸刃の剣も参考になるかと思います。
正論は*観念である「自分の価値観」によって出来ています。それは正しいのかもしれませんが、それを超えたところに正論を知ることが出来ます。
それは今に在る*本質です。私達は*本質そのものである意識が世界の見え方を変えるでしょう。
くれぐれも、「する」ではなく「在る」を意識してくださいね。笑

※文中に出てくる「*」は、言葉解説のページをご覧ください。

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